明治時代に作られた長崎奉行所の門が、山門として移築されていることで有名です。3つある「幣振坂」がこちらにも長照寺との境目にあり、この坂を昇っていくと亀山社中や風頭山につながる道になっています。永井荷風が、パリの路地と並べて「世界でただ二つの愛すべき道筋」と称賛した寺町通りの静寂を充分にお楽しみいただけます。
寛文13年(1673年)に石造アーチ橋が架設された中島川の第8橋。長崎大水害や幾度かの流失により、現在はコンクリート橋となっています。名前の由来は、東に新橋町(現在の諏訪町)があることにちなんで、明治15年に東新橋と命名。1800年に架け替えた親柱には、「ひがし志無橋」と書かれていました。