今からおよそ400年前の慶長13年(1608)に亀翁良鶴により創建されました。座禅会や年中行事も盛んに行われており、広い境内には学校法人 海雲学園 皓台寺幼稚園も併設されています。建立当初長崎は西洋の流れでキリスト教徒が多く、領主を始めとした住民のほとんどを占めていました。亀翁は仏教復興のため尽力し、明治以後は多くの僧が全国から訪れ修行に励みました。晧臺寺には近藤長次郎や小曽根家のお墓もありますのでぜひ訪れてみてください。
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上流の阿弥陀橋を基点と数えて10番目にあったことから江戸期には第十橋とも呼ばれていた眼鏡橋。 (寛永11年)興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた橋です。近年では1982年の 長崎大水害で半壊し、その修復時に江戸期の階段跡が発見されました。現在ではこの階段を再現し歩行できるようになっています。1960年には国の重要文化財として指定され、長崎の観光名所のひとつとして訪れる方々の目を楽しませています。川面に映った影が双円形を描くことから「めがね橋」と呼ばれていましたが、明治15(1882)年、正式に眼鏡橋と命名されました。