No.05
幕末の混沌とした時代。饅頭商人だった長次郎。幼いころから大変頭がよく、その才能は当時の土佐藩主・山内容堂も容認されていました。やがて名字帯刀を許され「近藤長次郎」となります。
龍馬と交流のあった長次郎は後に亀山社中のメンバーとなり、長崎を留守にしがちな龍馬に代わって会社を守りました。その功績が認められ長州藩より謝礼金をもらうことになった長次郎。龍馬と同じく志が大きかった彼は英国への留学を望みます。出立の前、彼は記念の写真撮影のため上野彦馬写真館へ立ち寄りました。ここで英国への留学をうっかり口に出してしまったのです。亀山社中の掟として、何かを行う際は必ずみんなに報告するというルールがあったのですが社中のメンバーには内緒にしていたのです。撮影の後、すぐに旅立てば良かったのですが悪天候の影響で出発が一日延びました。そして、不運なことに内緒にしていた英国留学が露呈。社中より切腹を言い渡されてしまいます。
近藤長次郎のお墓は皓台寺の小曽根家の墓の中にひっそりとあります。墓碑には「梅花出屋ノ墓」と書かれてあり、これは梅の見えるお部屋で長次郎が切腹をしたためこう書いてあります。この墓碑を書いたのが龍馬とも言われていますが定かではありません。長次郎に切腹を言い渡したのは龍馬という説もありますが、龍馬は「自分が居たら長次郎が切腹することはなかった」と嘆いたとの説もあります。長次郎は小曽根家の梅の花が見える部屋で最期を遂げたのです。