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亀山社中は日本で最初の株式会社です。(出資していたのは主に薩摩藩)こちらの亀山社中、現在は住宅地ですが当時は山の中。この会社の目的は「海運」「貿易」「私設艦隊」。難しい言葉のようですが要は、外国から武器を輸入しそれを各藩の商人に卸すことが仕事でした。
龍馬の師であった勝海舟の頭には外国からの攻撃に備えるための海軍強化がありました。長い間日本は島国であったため周りを海が取り囲み、海が海外からの侵略の妨げとなってくれていました。ところが文明の発達により帆船から蒸気船に変わることで武器(大砲)の運搬が簡単になります。つまり日本はどこからでも攻撃を受けやすくなったのです。所謂黒船到来です。その衝撃は当時の日本人にとって恐れ以外の何ものでもなかったはずです。
勝は国力を強化し、海外からの侵略に備えることを考えました。それが私設艦隊です。来崎する外国人たちから武器を仕入れ、諸藩に卸します。長崎の港には外国船がたくさん出入りしていたので貿易関連で起業するにはうってつけ。さらに天領(幕府直轄)ということでさまざまな商人たちが地方から訪れる情報の宝庫でした。
ここで龍馬は生まれ持った人徳なのか多くの人たちと巡り会います。(貿易で縁があったのがトーマス・グラバー、貿易の際の金庫番を務めたのが岩崎弥太郎です)当時は幕府の勢力も徐々に衰えつつあったのですが、やはり人と違うことを始めると御上の目が光ります。そこで山中でこっそりと始まったのが亀山社中です。
もともと亀山社中は亀山焼が作られていた場所です。亀山焼とはオランダ商人向けに作っていた水甕のこと。亀山焼は製陶期間が約50年と短く、伝世品が少ないことから幻の焼き物と呼ばれています。「亀山」は当時の地名、「社中」は人が集まるところの意味があります。
現在多くの観光客が訪れる亀山社中。てくてく歩きながら社中周辺の”龍馬のブーツ”や風頭公園からの眺めをじっくり堪能してください。長崎ならではのすり鉢状の地形を実感でき、長崎に多い尾曲がり猫と出会えますよ。
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≫日本「長崎ねこ」学会