龍馬と長崎


うんちくコラム


No.04

ジョーイ(攘夷)って何?

 幕末の思想としてあげられるのが攘夷。「攘夷」とは夷人(異人)を排除して日本人の実力行使で排斥しようという思想です。(元々の攘夷の意味は、”世界の中心の国こそが華”という中華民国の思想から出ています)

 -ではなぜこのような思想が日本に根付いていたのでしょうか?

 そこには複雑に絡み合った歴史的・宗教的背景があり、そのひとつの要因として日本の地形の特色があります。日本の地形は四方を海に囲まれており、古くから海外侵略者を「海」が防壁となって守っていました。深い海に囲まれているということは大陸から日本を目指す海外侵略者にとって非常に難易度が高く、日本は長い間安全な国家であり続けました。安全ではありましたが、その欠点として深い海があるばかりに海外の文化の輸入の妨げとなっていました。
 やがて戦国時代に入ると権力争いの中で最終的に徳川家が勝ち残り、天下統一を果たします。徳川家はありとあらゆる形で内乱を防止しました。海外からの侵略者に関してはこの時代、馬を船に乗せて海を渡ってくるという大きい苦労が伴いますので、あえて考慮する必要はありません。内乱防止は時には残酷なまでに、徹底していました。そういった流れの中で排除され、無残に潰されていった大名の末裔たちは徳川幕府への怨みを様々な形で語り継いで行きました。特に幕府がその存在を恐れていたのが長州藩と薩摩藩です。内乱防止策のひとつとして幕府が考えたのが築城。熊本城→小倉城→広島城→岡山城→姫路城→大阪城→名古屋城→駿府城→小田原城→江戸城を多くの城を作り味方の城主を置きます。そして、イザという時のために甲府城(逃げ道)までを築きます。また定期的に長州征伐を行います。さらに国を平安に保つがゆえ、ありとあらゆる文明の進化を意識的にストップさせてしまうのです。たとえば、馬があるのに歩いて参勤交代をさせたり、船を作る技術をもっているのにあえて1本マストの船しか使えないようにしたり。また日本人特有の言霊思想(口に出してしまったことが現実化してしまうのを恐れるという思想)から問題を先送りにする体質が悪影響を及ぼします。外国の船が来たらひとたまりもないぞという正論派の意見をすべて排除していくのです。そして朱子学、水戸学の観念的な考え方が広まるようになると日本はますます排他的な考え方を身につけるようになっていくのです。当時一番の権力を持っていたのは天皇でした。ペリー来航により開国を余儀なくされた幕府は天皇の意に反した行動をとったとして非難されるようになります。
 やがてこの思想が「尊王」となり倒幕を目指す人々の間で尊王攘夷という運動に繋がっていきます。最終的に天皇が絶対的存在であった幕末に徳川慶喜が大政奉還を行い約300年続いた武士の時代が終焉します。

【参考文献】坂本龍馬33年の生涯 高野澄著 株式会社三修社
攘夷と護憲「歴史比較の日本原論」 井沢元彦著 徳間書店